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プロフィール

Hide-αche

Author:Hide-αche
イラストを描いたり詩を作ったりして
空想の具現を生き甲斐とするものです。

根っからの音楽好きで
音楽がなければ消滅しますたぶん。

あ、地味に名前変わりました(20071111)

尚当ページではリンクを張る行為を禁止しております。
どうか理解の程を宜しくお願いします。


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【Trust】song from wyse

---------------------------

今思えばガキの頃からいつも
少し変わった奴だといわれてた
差し出された優しい右手にすら
裏があるって必ず思い込んでたんだ

誰かの言う-人並み-ってやつを嫌い
誰かの言う-強がり-になっていた
心の中を話せば話した分だけ
空しさだけが僕を見つめ返した

「経験を積み知恵をつけなさい 自分を守るために」
そのあとで すぐに覚えた『嘘』
・・・だけどなんか胸の辺りが ぎゅっと締め付けられて

言葉にすればもっと伝わるのかもしれない
全てを話せばもっとわかるのかもしれない
だけど大切なものや 悲しい想い出ほど
軽く話せるようなことじゃないと思うから


自分の笑った顔を疑うことよりも
信じる方がずっと難しいと思わないかい?
シナリオ通りに“キミ”を作り上げ涙させる
そんなことのために 僕は歌うわけじゃないんだ

---------------------------


wyseというバンドの二枚目のミニアルバム「DEAD LEAVES SHOWER」というアルバムに収録されてる曲です。

「歌詞がいい曲は?」と問われたら
私は一番先にこれを思い出します。
全部赤字で強調したいくらい、私はこの歌詞に100%の共感を覚えています。
wyseというアーティストの知名度がとことんマイナーなのでほとんど通じないのが玉に瑕です。


私は今でも“普通”とか“普遍”といった現象を否定して生きていたいと思っている。
「普通じゃない?」とはよく口癖で言っちゃってもいるが
“自分にとっては”という隠し文字で、相手の常識を密かに否定したり
もしくは“世間的には”という隠し文字で、ちょっとした皮肉を含有させているので
まぁどっちにしろ素直な「普通じゃない?」ではない。

あと、私にとって他人は
優しくしてあげる対象になりえても
自分に優しくしてくれる等とは
悲しいけれど微塵も思っていない。

勝手に期待するからそれに満たないときにそれは裏切りに変換されて
勝手に絶望してる。
そんな人を数多見てきた上での価値観。
だからと言って差し出された右手を振り払おうものなら
その人自身どころかその回りの人からも「あいつはナニサマだ」みたいなレッテルを貼られるから
表向きニコニコしてその手を取って「ありがとう」さえいえればそれだけでオッケーだ。

その裏にある打算や下心は、
あろうとなかろうと
垣間見えようと見えなかろうと
どっちでもいい。

ただ私は大概「ある」と思っている。
…いままで優しくしてくれた人ごめんなさい。
多分素直に好意を受け止めてないです。
「あらえいちびぃさんかっこいいですね」
かっこいいアナタ様はそうやって見下して何か楽しいですか?←大概そんなこと思ってます。

逆に自分が手を差し伸べてるときに何を思ってるか。
…差し伸べたことによって手に傷を負ったとしても構わない。
そう思ってます。


「経験を積み知恵をつけなさい 自分を守るために」
で嘘を覚えるという言い回しも、とても皮肉的で好き。

ここで少しだけJanneDaArcの「仮面」という曲の歌詞にも
エスタデイをうたって(著:冬目景)にあるセリフにも

共通した皮肉があるのですが

上手い嘘つきって人気あるんですよ。
本音はわかるかわからないかぐらいの匙加減でまぶした仮面と
少しでも傷つけそうなものはきれいに剥いた手袋で
シリアスなことはなるべく避けてわりとどうでもいいことを手振り交えていいふらす。

そうしてればいつのまにか“輪”は広くなるもんよ。

↑を見て「それオマエ(えいちびぃ)じゃね?」とか思う人がいたら
その人は多分親友だね(笑)


私は自分のことをあまり話さない。
「俺はことなかれ主義で生きてんだ」なんて吹聴して生きてるから
それを信じてる人もいるだろう。

よく自分の過去を話してくる人がいる。
昔こうだった。昔こんなことしてた。昔こんなことがあった。
そういうことを言える人を私は羨ましくも思う。

それを話せるということはそのことは既に過去となり
全ての決着がついてもう終幕した喜劇または悲劇になったからこそ話せているのだろう。

こういうことを言える人を私は妬ましく思う。

私にとって思い出とは
まだ過去になりきれないままの生傷であり
治りかけてもまた穿り返すように
忘れかけてもまた思い出してしまうような
切り落とせないままの粘着性の或る憑き物でしかない。

 言葉にすればもっと伝わるのかもしれない
 全てを話せばもっとわかるのかもしれない

誰とも分かり合えないことがなにより悔しくて
誰にも預けられない自分がなによりもどかしくて
ひとつ、またひとつと遠くなる記憶に
罪の意識は通り過ぎることなく、ただ降り積もってゆき
そろそろ両手では持ちきれなくってきた。

 だけど大切なものや 悲しい想い出ほど
 軽く話せるようなことじゃないと思うから


すれ違うだけの人に軽々しく託すことなんて、できなかった。



今日も私は笑顔を貼り付けて
面白くもないのに笑う。
それだけだとわざとらしいから
ときおりほんとに面白かったかのようにわざとわざとらしく笑ってみる。

「どうせいままでそんなに苦労してきてないでしょ?」
あの時そんな大仰な言葉をくれた貴方には、
私が自分の過去を話したりすることは、一生ないだろう。


wyseの唄うこの【Trust】を100%共感していると詠う私。
これらすべてを“強がり”だと見抜いてくれる人はいるのだろうか?
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